元ここに、広栄山心岸寺というお寺がありましたが、徳川光圀公がその寺を金砂郷町に移し、元禄9年(1696)この地に光圀山攝取院引接寺を建立し、向山浄鑑院常福寺の末寺としました。常福寺は、徳川光圀公が元禄2年に水戸徳川家菩提寺として建立された寺院であり、常福寺の第三世であった稱蓮社益誉上人が、引接寺開山上人として初代住職となりました。
当寺は、水戸徳川家御神葬式に際し光圀公をはじめ、明治初年まで常陸太田市瑞竜山徳川家墓所に埋葬の御霊柩の宿寺となっていました。

明治3年(1870)後台源長寺、菅谷浄運寺が廃寺となり、引接寺に加檀され檀徒を益し、寺の基礎が大いに確立されました。

昭和23年に本堂改築、昭和42年に庫裡改築、昭和56年に本堂・庫裡・客殿・山門を改築し、檀家の皆様のご協力を得て昭和57年に落慶法要を行いました。また、平成7年には、開山三百年ご遠忌を迎え、中門左右に記念事業の一環として金剛力士像を造立し、ご遠忌法要並びに力士像の開眼法要を修行致しました。
ご本尊(茨城県指定文化財)
阿弥陀如来(木彫)
観音菩薩(木彫)
勢至菩薩(木彫)

ご本尊の背面の文面
引接寺のご本尊は、光圀公の寄進した逸品で多賀郡安良川村の八幡宮にあったものです。背面に上記の光圀公自書が刻まれています。